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東海道と宿場の豆知識

■東海道ってな-んだ!

五畿七道

 律令時代(7C半頃〜)、日本は“五畿七道”という行政区画に分かれていました、五畿とは、畿内の大和・山城・摂津・河内・和泉、七道とは、東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道です。
街道としての東海道は、古代・中世を通じて東西交通の幹線道路で、江戸時代の五街道(東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道)の最も重要な道であり、江戸日本橋から大阪守口までの約531kmありました。当時、成人した男性の1日に歩く距離は、8〜10里(32km〜40km)であり、江戸から大阪守口までは14日から17日前後で旅をしたといわれています。

■東海道五十三次とは

 徳川家康公は、東海道に53の宿場を設け、一宿ごとに物資をリレーする伝馬制をしきました。
江戸と京を結ぶ東海道は、幕府権力を固めていく上で重要な役割を担っていた街道です。宿場は、情報や知識が集まり、文化が花開き、そして発信される場所でした。

■東海道は57次?!

 1601年、徳川家康公は江戸から京都までの宿駅制度を設けた時は、東海道の宿場は40ヵ所程でした。その後、1615年、豊臣家を滅亡させ、大阪までのルートを延伸させ、1624年、家光公の時代に江戸から京都までが53の宿場と大阪まで「伏見宿」「淀宿」「枚方宿」「守口宿」を入れて57の宿場で東海道としていたようです。

東海道五十三次

■宿場の役割

宿場

 公用の書状や荷物を、出発地から目的地まで同じ人や馬が運ぶのではなく、宿場ごとに人馬を交替して運ぶ制度を「伝馬制」といいます。この制度は律令時代からありましたが、徳川家康は、慶長6年(1601年)に東海道に宿駅伝馬制度を導入し、全国の街道を本格的に整備しました。
  宿場では、次の宿場まで届けるために必要な人馬を用意しておかなければなりませんでした。東海道は人馬それぞれ100人・100匹!五街道のうち、中山道が50人・50匹、その他が25人・25匹であるので、東海道の宿場の力が歴然です。宿場ではこの負担の代わりに、屋敷地に課税される年貢の免除や旅人の宿泊や荷物を運んで収入を得るなど特典がありました。
★宿場の機能ミニ知識

□問屋場:人馬の手配など宿場の業務を行う場所。
□高札場:幕府からの通達事項などの情報を掲げた場所。
□木戸・見付け:宿場の入口を示す施設。
□本陣:大名や武士、公家が宿泊・休憩した施設。宿場の裕福な家が指定されることが多かった。
□脇本陣:大名や武士、公家が宿泊・休憩した施設であるが、空いている時は一般旅人も利用できた。
□旅籠:一般旅人用の食事付き宿泊施設。
□木賃宿:一般旅人用の食事無し(自炊はOK)宿泊施設。
□茶屋:お茶や食事などを提供する旅人向けの休憩施設。座ってお水を飲むだけならば無料。

■峠とは

  • 峠
    峠とは、山道の上りと下りの境界を示します。
  • 古来より自分達の領地の先、異郷の地を示す国の境(さかえ)として峠を位置づけられられます。これから先の無事を祈り、着いた時は無事に感謝する場所でもありました。
  • 峠の祠はこれらの祈りの場所であり、異郷の地から悪いものが入り込まないための結界としての役割もあったようです。

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■旅案内人の十返舎一九

 弥次さん、喜多さんでおなじみの「東海道中膝栗毛」は、道中でおこる旅人の交流、宿場名物などを題材にした滑稽本としてベストセラーとなり、この本をきっかけに旅行ブームが起こったようです。作品の中には丸子のととろ汁も登場しています。
本の作者である十返舎一九は、駿府町奉行の同心の子で、静岡(両替町)生まれの静岡育ち。
駿河歩人ではこの一九がナビします。

十辺舎一九

■駿河歩人(するがあいんど)とは

 平成15年静岡市と清水市は合併し、新市「静岡市」となりました。その後、平成17年に蒲原町、平成20年11月には由比町が編入されました。それにより、東海道の57の宿場のうち、静岡市には6つの宿場を有する市となりました。
  この6つの宿場(蒲原宿、由比宿、興津宿、江尻宿、府中宿、丸子宿)とさらに2つの峠(難所で有名な薩た峠、宇津ノ谷峠)をつなげて「東海道2峠6宿」をのんびり歩いて、町を学び、楽しんでもらう仕組み、それが「駿河歩人(するがあいんど)」です。

駿河歩人(するがあいんど)とは

静岡の方言では「歩く」ことを「あいく」「あいむ」といいます。
駿河歩人と書いて「するがあいんど」と読みます。

楽しみ方には解説マップを見ながら自由にあいむ、案内人と一緒に説明を聞きながらあいむの2つの方法があります。どちらもとっても魅力的!あなたも歩でみませんか?

解説マップ

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■東海道2峠6宿駿河歩人ナビシステム

●目的
歴史街道を歩いて楽しむウォーキング需要が増大している中、静岡市、由比町(平成20年11月静岡市と合併予定)には、東海道6宿と難所で有名な2峠すなわち、薩た峠、宇津ノ谷峠(峠境からは岡部町(平成21年1月藤枝市と合併予定))があり、それぞれの宿場や峠では東海道や富士山への眺望を楽しむ人が増えている。
本事業では2峠6宿を活かし、“歩いて楽しむ”旅のスタイルを確立し、街道観光という新しい価値の創出を図るものとする。
また、合併等による地域障壁がなくなりつつある昨今、東海道2峠6宿それぞれの地域活動について街道を基本コンセプトとして連携することにより、新たな魅力の創出、地域ブランドの強化、来訪者の増加、滞在時間の延長などを目指す。
このため、適切な情報内容と情報提供手段により、来訪者が快適かつ円滑に地域をめぐり、地域への理解を深め、何度でも訪れたくなるような場所とするためのナビシステム構築を目指す。

●東海道2峠6宿駿河歩人ナビシステムのしくみ

ナビシステムのしくみ

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